こんにちわ、歴史と漫画好き。いのまんです。
今回は、伊藤潤先生著「囚われの山」の感想を書いていきたいと思います。
今回漫画じゃなくて小説です。大好きな伊東潤先生が描く八甲田雪中行軍遭難事件のお話です!
八甲田雪中行軍遭難事件ってご存じですか?
明治35年に起こった世界最大級の山岳遭難事故の事です。
高倉健さんが主役の映画「八甲田山」がとても有名ですよね。自分はこの映画3回以上は見ています。
面白いというよりも、引き込まれる感覚のする作品で数年に一回見たくなるんですよね。
本作はかなり読みやすい文体で、当時の情景がわかりやすく説明されているので他の八甲田~~の作品を読んだ方はもちろん、知らなかった人にもかなりおすすめできる作品となっています。
「囚われの山」~作品詳細
作者:伊東潤
出版社:コルク
ジャンル:歴史・ミステリー
あらすじ
雑誌「歴史サーチ」の編集部員・菅原誠一は、特集企画「八甲田雪中行軍遭難事件」を担当することになった。
遭難死した兵士の数が記録によって違うことに気づいた彼は、青森で取材を開始。当時の悲惨な状況を改めて知る。
特集企画は成功を収め、社長からもう一度、特集を組むこと指示された菅原は、再び青森を訪れた。
遭難死した兵士数の違いにこだわる彼は、遭難事件の半年後に病死した稲田庸三一等卒に注目。
取材のため、地元ガイドの小山内ととともに冬の八甲田に足を踏み入れた、菅原が見たものとは一体――。
現代と過去の構成が素晴らしい
基本的に歴史物って経験した事が無いため、読者側の想像力がとても重要になってくると思うんですよね。
なので、読み慣れない人にとっては今自分が読んでいる場面がどんな場面なのか想像しにくいのが歴史小説の難点だったりして、人によっては敬遠してしまうと思うんです。
しかし本作品は雑誌記者・菅原が地元の方への取材を通じて、青森歩兵第5連隊が実際にたどった田茂木野から田代間のルート(約20㎞)を同じようにたどる為、読者側も追体験しているような感覚で読むことができます。
その工程を素晴らしく丁寧に書き上げられているので、その後の過去パートでの青森歩兵第5連隊の行軍する地域が実際には知らなくてもまるで知っているかの如く話が進んでいけます。
行軍の工程を読者が理解している事で、後半の八甲田における青森歩兵第5連隊に起こった数々の悲劇が更に生々しく伝わってくることとなります。
八甲田山の事件は人体実験の場だったのか!?(ネタバレ含む)
映画「八甲田山」の原作小説「八甲田山死の彷徨」でも仮説として立てられた、八甲田山雪中行軍は軍における人体実験だったのではないか!?
という話ですね。
日露戦争直前に行われた雪中行軍訓練ですが、ロシアとの決戦の地は満州の北部で日本で例えると北海道の銭函や青森当たりでの決戦が予想されていました。
日露戦争以前の日清戦争では、防寒対策を軽視したことによって凍傷によっての戦闘不能者が続出したことを考えての訓練であったとされます。
しかし、防寒対策を軽視したことによって、戦闘不能者を出したから訓練させよう!まではいいと思いますが、実際に立てられた八甲田山雪中行軍訓練の計画は杜撰だったとしか言いようがありません。
・雪中行軍に参加した事ない指揮官、更には参加した将校の半分は雪国の出身ではない事。
・厳冬期の八甲田における防寒の知識不足
・指揮系統の混乱
・貧弱な装備(一般兵卒の装備は特に)
特に装備面は、准士官以上は毛糸類のマント・帽子・軍服とある程度防寒されており毛糸類の下着に手袋・長靴の着用が認められていた。
しかし下士卒(一般兵)に関しては毛糸のマントはあるものの夏用の軍服に夏用の下着、手袋はあるものの短靴(くるぶしくらいまでの靴)しか身に着けられませんでした。
(夏用とは綿で作られた製品です、9月10月くらいの格好に毛布を被って約20KMを歩こうとしています)
しかも、准士官以上はこの装備の上に更なる防寒を許されていたが下士卒以下は許されておりませんでした。
(服の下は、見えないので良しとされていたので防寒の知識があるものは何かしらは対策を練っていたが、物が無かったために全員がその対策をできなかったし、自腹となる為にそんな対策もしなかった)
この、貧弱な装備で極寒の八甲田山・田茂木野~田代間の約20㎞を踏破してどの程度の凍傷となるのかを旧日本帝国陸軍は実験として利用したという話です。
その事実を知っていた山口少佐(本来ならついてくる必要のない幹部)が口封じのため、自殺と見せかけて殺されたのではないか。
(拳銃自殺となっているが、山口少佐は指が凍傷で動かなかったために拳銃自殺ができる状態ではなかった)
という仮説が雪中行軍は、軍における大掛かりな人体実験だったと言われる所以になってしまいましたね。
実際に当時の記録も隠ぺいと改竄が多く、一つの資料の信憑性は低くて複数の資料を照らし合わせていき、矛盾点を洗い出して整合性を正して、ようやく真実の一つにたどり着くような状態のようです。
ただ、日露戦争の黒溝台会戦では凍傷になった兵士は2人のみで戦闘不能になった兵士0人と、八甲田山雪中行軍遭難事件で起こった凍傷データを元に取った成果と言われても反論できないですね。
真実を知る歴史に消された兵士
この話を深堀するだけでもかなり面白い作品になると思うのですが、実際には「八甲田山死の彷徨」の創作の可能性が高く、この話を深堀してもパクリにしかならなかったのでしょうね。
だから、オリジナリティを出すために架空の人物を出しています。
雑誌記者の菅原は最終的に死者199人とされているが、死者200人と記録されている資料がある事に気が付きます。
軍に消されたかもしれない200人目の兵士は、実は山口少佐についていた従卒・稲田庸三であり彼はなぜ200人目とカウントされなかったのか?
という点がミステリー部分なんですが、正直ラストはちょっと肩透かしでした。
ミステリーにする必要は無かったと思いますし、雑誌記者・菅原はあくまでも語り部という立場で良かったんじゃないかなって思います。
この架空の人物の視点から、八甲田山雪中行軍訓練の前後の過程を詳しく述べさせる話の方が興味湧いたかなって思ってしまいました。。
最後に
ラストちょっと批判的になって今いましたが、中盤からラストに掛ける青森歩兵第5連隊の描写はかなり没頭してしまうほどの世界観で、とても面白かったです。
自分は北海道の山育ちなので、この防寒具の話はかなり現実的に感じてしまいます。
学生時代とか、オシャレ重視で秋物を冬の間も着ていたのでマジで死ぬかと思った時もありましたから・・・
ホワイトアウトも経験してて、仕事で年始にニセコに行った際には道路と畑の境目がわからなくなり立ち往生したことがありました。
あんなふきっ晒しの所を歩くと考えたら、想像を絶する思いです。
当時の軍隊の気質は到底見過ごせるものではありません。
歴史に埋もれさせて、当時行われていた悪を風化させる事はこのような事件で亡くなった方々への冒涜だと思っています。
ぜひ、この事件を知らない方は興味を持ってもらいたいなって思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。したっけね!
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